歩き出す明日は僕らで描こう

さてさて。あれからそろそろ1ヶ月になろうとしてますがその後いかがお過ごしでしょうか。わたしはというと、ベストアーティストやらFNSやらレギュラーやらでにのや嵐を摂取し幸せな日々、です、が。

 

 

なんというか、もうこの1ヶ月は人の見るものには主観が大いに入るということをまざまざと知らされた日々でもありました。不仲とか、だれそれが機嫌悪いとか。にのが結婚発表することをまさか当日に知らされたとでも思っているんだろうか。そんなことはありえないわけで、結構前から知っていたと思うし、その時期に関しても相談していたはずだし。たとえば直前だったとしてもJET STORMのときには少なくとも知っていただろうし。そのときに不仲って言ってた人いたかっていう話で。結局人は自分の見たいように物事を見る。自分がこれだけ不満なのだから他メンも不満に違いないという発想なのだろうなぁ。もちろん、わたしの見方だって、わたしの主観が入っているから、現実とは180度違うこともあるだろうけどね。わたしはやっぱりにのの味方でにのがいいように解釈してしまうからね。

解釈違いついでに妄想を。この時期の発表っていうのは、アイドルでいても自由だよって周りに証明したかったのかなぁ、なんて。休止の理由はまさにそれだし。(別に結婚だけではなく生活の様々なこと)他メンが結婚は自分たちにとってはリスクだと以前言っていてそれは本当にそうだし、にのも今回のことではかなりのリスクを冒しているわけです。でもそれでも、自分を貫くことをしていいんだよって言いたいんじゃないのかなぁ。それは後輩たちにもそうなんじゃないかな。アイドルであっても1人の人間として生きていい、生きていけるって。これからはそういう時代だよって。アイドルとしての仕事を全うしていれば大丈夫。休止まであと1年で自分たちにしかできないことをしていく、SNS配信とか、サブスク解禁とか、それの一環であったりして、と。そんなだったらかっこいいなーっていうわたしの単なる妄想だけどね。

 

ツイッターで見かけたんだけど自分が大野くんだったらどれだけ休むか考えると「一生」だと言っている人がいて。一生暮せるお金があったら自分がやりたくないことはやらない、来年一杯で休めるってわかっているから、今は楽しくて仕方ないだろうと。かなりシビアな目線だなと感じるけど、ちょっとそうかもって思ってしまう自分もいて。今回の結婚の件でさらにそれが補強されたというか。20年以上も他者を幸せにすることに心を砕いてきたのに、自分の幸せをここまで否定されちゃうんだなぁっていう。タイミングとか相手とか色々言いたいのわかるし、悲しんでいる人はかわいそうだなと思うけど、誹謗中傷は論外でしょう。いつまで言われ続けるんだろう。一生かな。SNSって自分と似た考えの人ばかり集まってしまうから、周りが見えなくなっているんだろうな。

 

昨日福岡の挨拶で智が「休止中も僕のこと思ってないと…うんぬん」て言ってたみたいだね。上記のような考えに陥っていたわたしにとっては嬉しいな。待ってるって言うことさえ負担なのかなと思ってたから。待っててもいいんだよね。もう最近だめだわ、思考が。この間夜休止のこと考えて1人でおいおい泣いてしまって。もういい年なのにね。TOKIO嵐表紙のテレビ誌見ながら来年もうないのかなって急に冷静になってしまって。いっそにのオンリーになろうかとも考えたんだけど、やっぱ嵐好きだし無理だー。嵐ー好きだよー。

 

そんな感じの日々です、最近は。全然何もまとまってない。